なかのひと


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2008年10月19日 (日)

ピカソの「ドラ・マールの肖像」を観て余計なものをはぎ取ろうと思い立ちました。

001芸樹の秋ですから、ピカソを六本木の国立新美術館で見てきました。
柄にもないのですが。。。。
ピカソの芸術的な意味はよくわかりません。
でも、少なからず影響は受けました。

ピカソの影響なのかそれはさておき、ブログの背景や色や文字の大きさを変えました。
余計なものは取り払うことにしました。
ストレートの記事が読めるようにとの思いからです。
自分の思いを多くの人に伝えたいからです。
ブログは何かを表現したいから続けていることです。
これを書いている私がどんな人なのか表現したいからです。
だから余計なものははぎ取ることにしました。
それぞれの記事をじっくり読んでいただきたいし、
トップページからどんなことが書いてあるか、目に飛び込むように複数の記事が目に入るようにトップのバナーを小さくしています。
カテゴリーの欄もアンダーラインは無くして、文字を少し大きくしています。
どうぞカテゴリーからも記事を読んでくださいませ。

下の画像はピカソ展に展示してあった「ドラ・マールの肖像」、ショップで買ったポストカードをスキャンしたものです。

001_3

ピカソ展のポスターにも使わていて、そうかこれかと思いながら、
しばし佇んでいたのでした。
ほんとになんとなくですが、これいいかもな、と思うのです。
ブログの場合は書けば書くほどにその心が浮き立つように思います。芸術家は描けば描くほど、表現すればするほど、対象への思いや表現者の思いが表にくるのでしょうか。

 《心の力によるわけではない、
  身体の力によるわではないのだが、
  自ずから言葉を得るのである。》
 《自己の心意は自己の尽地からから到り、
  他の心意は他の尽地から到るのであるから、
  我が得た言葉と他が得た言葉とは、
  たとえ同じ言葉であっても、
  それぞれは心意の境域を有した別の言葉である。》
     (石井恭二『現代文訳・正法眼蔵』道得より)

と、『正法眼蔵』のなかで道元は言っています。
なるほどと思います。
いろいろな思いが交錯し、つまるところ余計な装飾をはぎ取ってみました。
今後も宜しくお願いします。
 
 
 
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