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2008年7月13日 (日)

『監査法人』をみて幸せや公正さを思いました

昨晩もNHK土曜ドラマ「監査法人」を見ました。監査とか公認会計士の仕事とか良く解りませんが、思うこと多々。
 自分の身は誰のもなのか。
 職業倫理や正義感は何処まで行使するのか。
 幸せってなんだろう。
と、こんなことを思います。『監査法人』をみて幸せや公正さを思いました

 
【 自分の身は誰のもなのか 】
自分の体は自分のものです。けれど、自分だけのものではありません。パートナーがいるのなら自分のものであり同時にパートナーのものでもあります。お客さんと向き合って仕事の依頼を受けているのなら、自分のものでありお客さんのものでもあります。
経営者ならば、株主のものであり、社員のものです。経営者の体や時間は自分ものだけではありません。個人で思う「自分の体は自分だけのものかしらん」と思うことより、ずっと重たい感じになるのでしょうか。
自分の理想を追い求めることと、株主・社員・お客さんのことを思ってくると、元々の理想がかすんでしまって、より大きくといった拡大路線に向かざるを得なくなるのでしょうか。

公認会計士で監査法人の理事長となった小野寺さんは理想を追い求めている
  「正しいことを正しいと言えない
   そんな腐った世の中を認められるのか。」

と前々回は訴えていましたが、先日は
「大きくなるしかないんだ」
との根拠のもとに、正しくないことに目をつむれみたいなことを言ってしまっています。
経営者の場合は、他との接点がマネーを介するからなのでしょうか。
 
 
【 職業倫理や正義感は何処まで行使するのか 】
職業にはそれぞれに倫理があります。
特に士業というものにはそれぞれの業務に関する法律があります。

建築士には「建築士法」があります。その第一条は
《(目的)
 第1条
 この法律は、建築物の設計、工事監理等を行う技術者の資格を定めて、その業務の適正をはかり、もつて建築物の質の向上に寄与させることを目的とする。》
です。

NHK土曜ドラマ「監査法人」の主役である公認会計士にも「公認会計士法」があります。
《(公認会計士の使命)
 第1条
 公認会計士は、監査及び会計の専門家として、独立した立場において、財務書類その他の財務に関する情報の信頼性を確保することにより、会社等の公正な事業活動、投資者及び債権者の保護等を図り、もつて国民経済の健全な発展に寄与することを使命とする。》

《(公認会計士の職責)
 第1条の2
 公認会計士は、常に品位を保持し、その知識及び技能の修得に努め、独立した立場において公正かつ誠実にその業務を行わなければならない。》
とあります。

建築物の質の向上が建築士の責務です。
公認会計士の責務は国民経済の健全な発展に関わることがその責務のようです。
たつろうは一級建築士ですから、当然のこと社会からその責任を果たすべく注視監督されるのです。
公認会計士も同じようです。不正な決算を発見したら認めたらいけないわけですね。

これからくる結論は、建築士も公認会計士も常に公正にその職務をまっとうしなくてはならい、です。

ドラマ中の会計士 茜(松下 奈緒)の
  「私疲れちゃった。もうやめるわ」
というのは正直な気持ちなのかもしれません。
公認会計士の責任を果たすと、企業の不正を指摘しなくてはなりません。すると不正を指摘された企業は破綻することもあります。
そして自殺に追い込まれ人もいるし、破綻した企業からの離職者も増えます。だから「疲れちゃった」かしらん。

一方で先輩の公認会計士吉野さんは
  「君たちを信じて良かった。」
と、あくまで公認会計士として厳正な監査をした若い茜と若杉に言うのです。

これからすると、真っ正直に公認会計士の責務を貫くのは簡単なことではないようです。

それでも、「士」の責任は正しく行われるべきです。
だって、不当なことがまかり通るのですから。
姉歯元建築士による耐震偽装は多くの人を不幸にしました。
公認会計士が責務を履行すると企業が泣かされることとなります。経営破綻となるんですね。
「時が求めればそれは良くて、時が望まないならいけない」
とは、正義をいこうとする小野寺さんが追放した篠原さんがいった言葉ですが、不正を見逃してでも明日は拡大することが時代の要請なら公認会計士でも、バカ正直に公正を貫かない。これが篠原さんの言い分です。

その篠原さんを訪ねてきた若き公認会計士若杉に
  「お前の中ではもう答えが出てるんだろう」
と、言うのですが、結局のところ個人で考えて決めろと突き放してるかもしれません。

人の行いですから、こんな情景も出てくるのでしょう。情実ある公正な責任の行使ってないでしょうか。
 
 
【 幸せってなんだろう 】
公認会計士として理想を求める若杉さんの廻りで、厳格な監査が原因で人が死んだりします。
友人である起業家の上場のために不正な決算を認めてしまいます。自分の小さい娘が一人で自宅にいて火傷をする。だれも娘のそばにいてやれない状況での事故。
若杉さんは
  「俺って誰も幸せにしてないんじゃ」
と、ぼやきが出てきました。

公認会計士が公正に務めると、公正さを突きつけられた側は谷に落とされる。これが不幸ならば、不幸です。
でももっと不幸なことは人を欺くことだと思います。
この不幸を感じたので吉野さんは「君たちを信じて良かった」と言ったんです。
嘘をつくり成功して、さらに嘘を作って以前よりもっと成功することはあるかもしれません。
けど、人を欺く範囲が前より大きくなった。幸せと呼ぶべきでしょうか。

ここでは嘘でもって人と関わっています。自分は自分だけのものではなく、経営者の場合はその関わる範囲が多くなり、さらに関わっていることの事実がマネーで証されます。
するとマネーを多くするため、不正なことを指示するか目をつむるか、篠原さんのように時代の要請としての正当化がおこるのでしょう。
マネーの多さで他と関わるから、自分は多くの人と関わっているから幸せなんだとの筋になるのでしょうか。

でも、これはマネーを介しての支配欲かな。
支配をするのが人との関わりとは思えません。

自分の身は自分のもので、しかも君らに利益を配分してるんだ。
だから成功者だ。成功してるから幸せなんだ。という図式に若い若杉さんは挑んでいるようです。
そこを見ている茜さんも同じなのかもしれません。茜さんは女性特有の現実認識があって「もう止めるわ」となり、一度は田舎の港町で個人商店の会計処理なんかをするんですけれどね。これなんかも、人のお役にたって幸せという一つですね。

もっと大きな夢もあっても良いのでは思ったりもします。ささやかな幸福はホントに本当に大事です。きっとこれだけでも究極の目標に違いありません。

けれど、何度も言うように人は他と関係して生きています。
社会から責任を求められる立場であるなら、強制的に関係を迫られることもしょっちゅうでしょう。
会社の社長ともなれば一人でこもって自分の好きなことだけではすまされなくなり、目一杯ひとと関わることとなります。

その中での幸せってなんだっけ。

それは、高潔とか仁とか賢人とかいわれる類かなと、うっすらと思います。
たつろうは経営者ではなく、決算書を作ったことはないけれども、マネーと関わり、同じく重要な人との関わりが幸せの根源だと思います。

マネーと関わるのは、やっぱり人と関わること。
マネーで支配しようとする欲を越えた人との関わりが、幸せってなんだっけの答えです。

マネーにつきまとう欲を越える時の船頭が「士」にかかわる法にある公正さに隠されているのでは思うのです。
あともう一つ、「幸せってなんだろう」「自分は誰のもの」と問い続けるのが欲からの超越を助けると思うのです。
 
 
 
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コメント

長文お疲れ様でした。

tatsuroさんの真剣なお考え、心に響きました。

今までの建築業界は「コンプライアンス」という言葉と縁遠い部分を持ち合わせた業者さんもたくさんいました。

それが姉歯事件以後、様変わりし、業者には厳しいですが、消費者の方がたには良い展開になってきたと思います。

しかし、水清ければ魚棲まず という言葉もあります。

急激な変化に業界自体が、対応できていないところが否めないのもあります。

この辺が、難しいところですね。

お金って結局なんだろう?
今これが一番私たちに突きつけられている疑問だと思います。
その答えによって行動のあり方が変わってきますよね。

私はお金は交換の道具に過ぎないと思います。
道具は世に合わせてその形態を変えていくでしょうが、交換という行為はなくならないでしょう。
交換が上手くなるにはやはりコミュニケーションを上達させるしかありません。
そうなったら交換手段である道具は何を使おうが相手が納得すれば良いのだから、お金に執着する必要もなくなります。

人生に安心がほしいなら、お金よりコミュニケーション能力。
だと思っているので、日々是精進です。

gonsukeさん こんばんは
急激な変化ですが、一人なら直ぐに変われます。その一人が次の人に伝えれば変わると思います。私もそんなふうに生きていきたくて修練でしょうか。

ビルダーナースさん こんばんは
お金よりコミュニケーション能力か。
まさしくその通りかも。
そもそも勤勉さで余ったお金を次の生産への投資が資本のはずですが、投資による再生産後の見返りを期待する資本になってしまってますね。
資本の初心を思って、次をと思います。
まだまだ見えませんが。

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