なかのひと


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2006年1月の3件の記事

2006年1月30日 (月)

今日の朝ご飯

Asahohan
今日の朝ご飯は、ごく普通に、
白い飯、みそ汁、納豆、漬け物です。
白い飯は実家の田んぼの米。この米が何処の米より、美味しいんです。
みそ汁は煮干しのだしで、アゲ、椎茸、ネギが具で、みそはこれも実家で仕込んだお手製です。
今朝も美味しく朝飯を頂きました。今日も頑張ろう!

2006年1月27日 (金)

礎石

Soseki
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
これは私の青春の書の1ページです。

天沼俊一という人の書いた「日本建築細部変遷小図録」という本の
礎石の部分のページです。
学生時代に図書館に行ってはこれを眺めていました。

今,手元にあるのは職についてから神田の南洋堂で買ったものです。
これを見付けたときには本当に嬉しかったです。
先週も地盤調査,ついこの間も地盤調査をして,
家の基礎を考えています。

こんな気分で,
なんとなくこの本の礎石の項を繰ってみたかったのです。
これにある礎石は奈良時代の塔や国分寺の柱の足元にある石です。
基礎です。基礎の石です。

現代の家の基礎はベタ基礎が一般的ですが,
古来は柱の足元廻りにのみ基礎がありました。
礎石ですね。

見ていると,
若い頃一生懸命に建築の勉強をしていた頃を思い出します。

これはまあ,独り言です。

それより,ベタ基礎がいいのか,
これらのように柱の下のみの礎石がいいのでしょうか。
恐らく,礎石の下の地業といわれる地面を締めかためる工事を念入りにやり,
礎石自体が自然石を鑿などで加工したものであれば,
現代のコンクリートのベタ基礎より勝れているかもしれません。

でも,どうかな,結論を急いでも,
私のような底の浅い頭で考えてもなと,とも思います。

とにかく,基礎は家にとって大事ですから,
きちんと調査をしてきちんと構造を決めて,家の礎を築きたいのです。

2006年1月10日 (火)

家父長的世界

 この正月に家父長的なるものを、帰郷していた僅かな時間ではあるが実感し、この世界に身を置いた。
 というのは、元気だった父が急に他界したからである。本当に突然のお別れとなってしまった。通夜を自宅で行い、告別式も自宅で執り行い、初七日の法要も自宅でというのが、本来の姿。もっとも、正月という事もあって告別式は典礼ホールで執行したが、告別式終了後には近しい人が自宅に勢揃いした。

 この時、一同の前で、挨拶をする。続き間には長さ一間のテーブルが三つ並び、台所にも奥さん達が身動き出来る程度に集まり、最前で改まった挨拶。これ、家父長なのだろうか。

 田舎では、通夜の夜に仏前にお供えするのは「めざまし」という。漢字で書くと「目覚まし」。めざましは、通夜の夜に故人を囲んで寝ずの番をする人たちの目を覚ますためのお茶菓子。
 通夜の夜は、家父長は眠れない。続き間に一杯の人々が寝ないのだから、家父長は寝ない。通夜の夜には、親族一同と近隣の方々で続き間は人で一杯になる。一杯の人に目覚ましのお茶菓子と焼酎を振る舞う。その時となれば、おにぎりやみそ汁も出される。だから、賄いのために台所は、奥さん達で一杯になる。
 
 家父長は上座に座り労いの礼をして、大まかな指示を出す。そうすると、年長の世話好きの男子から周りへ細かい指示が出る。これを見ている奥さん達は、人の動きを見て、賄いの準備をし始める。
 こんな中では、続き間がどうしても必要で、台所は大きくなる。台所は巾二間、奥行き三間の土間であればなお良い。
 
 続き間は普段の生活では必要性は感じないものの、祭儀などの人が集まる時には是非とも必要。襖も時には全て取り払ってしまいたい時もある。となると、鴨居と長押より、骨太の差し鴨居が似つかわしい。差し鴨居が柱にささり、襖や障子がなくなれば、柱も太い方が良い。続き間に大勢の人が詰まれば細い柱と繊細な長押と鴨居では、人の勢いに圧倒される。ましてや、壁がビニルクロスであれば、なおのこと人に圧倒される。

 こんな事を思うと、ビニルクロスや集成材の柱梁の下で、人は死んでもいいのかな、と思う。やっぱり、骨太の柱梁、漆喰の壁の家でゆっくりと長く休みたいもの。
 一同をまとめる家父長は薄っぺらい壁の前では、何となく味気ないと思う。だから家父長がまとめる人が多いほど、家父長の後ろの床は立派が良いし、続き間は広い方が良いし、柱と差し鴨居は太く黒く光り、壁も生きている方が良い。

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