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2007年2月 4日

51C型という家がありました

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   50年前と今。感謝しなくちゃね。
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住まい学大系という家に関するシリーズがあります。
これは今までに100冊刊行さています。
この100冊のリストを見てると、

もう一回読みたいものもあり、それ私にとっては胡散臭い。
感動していっきに読んだのもあり、読もうと思って忘れたのもあったりして
面白いものです。

最近、この第二シリーズが出版され始めました。

 
第二期の一冊目。最初から数えて101冊目は
鈴木成文著「五一C白書―私の建築計画学戦後史」住まい学大系101

これの帯に

 「戦争と戦後がここにある」
 「日本人の住まいの新たな創造を目指して
  鉄筋コンクリート造公営住宅普及のために
  つくられた1951年度C型標準設計
  その当事者が書き下ろした
  建築計画学の戦後から現在に至る全史」

51Cとは、この帯にあるように戦後公営住宅の標準を示したもの。

ちなみに下の画像が51C型。
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面積を計算したら35.4平方メートル 10.7坪。

10坪です。

仕事では、30坪から35坪の家を作ることが多いのですから、小さいですね。

この10坪の家が戦後は垂涎の的だったんですね。
変われば変わるものです。

家はどうしてもその時々の社会の情勢やら雰囲気と切っても切れません。

住宅は住むための機械である
と偉大な建築家は言いましたけど
様式。しきたり。古い無意味な慣習。建築家の自尊心は捨てて
家で生活するための、その機能をまずは考えて形にしたまえ
という事だと、思っています。

だけど純粋に考えてるだけでは家はできません。
戦後すぐは10坪の家です。血気盛んな計画学の人々が一生懸命に作ったものです。
戦後のその当時では、10坪の家が適当だったんでしょう。

今はと言えば
30坪前後の家が当たり前です。
当然。30坪前後になるようにまずはプランニングをします。

10坪の家は最初から考えません。

戦後。私たちは豊かになったんですね。
感謝しなくてはね。
10×3で30 ですよ。戦後の3倍の大きさの家に住んでるのです。

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左サイドバーのお気に入りの本も注目。コメントは読後感であり私的評価です。

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コメント

今日は! 霧島住宅・宮原謙治です。良い住宅=良い環境という視点から、住宅環境科学研究を通して、幸せをもたらす家づくりを推進しています。相互リンクをお願いできませんか・どうぞよろしくお願いします。

投稿: 今日は! 霧島住宅・宮原謙治です。 | 2007年2月 4日 19時45分

宮原さん こんばんは

大先輩に相互リンク。大変光栄です。
是非ともリンクお願いします。私からもリンクはりますので宜しくお願いします。

宮原さんは小林市ご出身ですね。実は私も宮崎県出身です。
生まれは高岡町で宮崎の山猿でございます。

以前の記事で,床なりが許せなくて,床梁を取り替えた!
という記事を読みました。
そこまでやるかって感じでした。

今後も宜しくお願いします。

投稿: tatsuro | 2007年2月 4日 21時26分

なるほど~

結構大きくなったんですね~

投稿: Mちゃん | 2007年2月 4日 21時28分

公団は狭かったですね。
私も住んでいたことがあるので、あの当時の圧迫感は覚えています。。。。
どうせなら、戦前・戦争・戦後と全体の流れがまとめて本にされてるといいなぁ。
なんで戦前と戦争・戦後って分かれるのかちょっと不思議です。

投稿: ビルダーナース | 2007年2月 4日 21時34分

Mちゃん こんばんは

そうですね。小さい家だったようですね。
このPLANの元の理論は西山卯三氏の「食寝分離論」だったような気がします。

この後はきっと
kumaotokoさんが解説してくれます。
でも。熊さん今,忙しいのかなあぁ

投稿: tatsuro | 2007年2月 4日 21時54分

ビルダーナースさん こんばんは

公団住宅に住まわれていたんですね。
戦争は日本の前と後をとんでもなく変えました。
新聞読んでたら,中央アメリカでは農薬被害が問題になってるようです。
日本も戦争がなくて,ずっと貧しい国だったら,あんな事になってたんかなあぁと,思ってしまいました。

考えすぎでしょうか。
こんな記事を読むと,身の廻りは平和で豊かだと,思ってしまいます。

投稿: tatsuro | 2007年2月 4日 22時00分

うーん 狭いというより風呂ないっすよね

解説なんて僕には無理っす。
この辺はあまり知らないですから。

ただ、西山夘三先生の食寝分離を元にしているのはそのとおりですね。
西山夘三先生はこの標準設計の策定の委員だったはずですし。
またこのプランでは食寝分離の他、二室就寝つまりは「就寝分離」が実現されています。
ただの狭い家ですが、当時は革新的だったんですね。これが。
DK(ダイニングキッチン)の元祖、2DKの元祖ですな。

投稿: kumaotoko | 2007年2月 4日 23時26分

kumaotokoさん おはようございます

あ。そういえば、風呂がないですね。

あまり知らない。なんて、ご謙遜を
素敵なコメントを頂きました。

食寝分離の上に就寝分離なんですね。
なるほどなるほど。

投稿: tatsuro | 2007年2月 5日 07時39分

たつろうさん、今日は!いや世の中は狭いですね。
高岡ならみかんですかね。車で帰省した頃はよく通りみかんを買って帰りました。
また、千葉さんとは一度お会いしてませんかね?
風土社の面接です。不合格でしたけど・・・。

リンクを張らせて頂きました。どうぞよろしくお願いします。
http://blog.livedoor.jp/kirishimaj/

投稿: 今日は! 霧島住宅・宮原謙治です。 | 2007年2月 5日 11時47分

「間取り100年」という本があります。
今度もって行きますね。
場所の押さえを宜しくお願いします

投稿: ワンマン | 2007年2月 5日 15時28分

ワンマンさん こんばんは

その本、知りませんでした。
今度見せてくださいね。

今度の場所はお任せください。
楽しみにしています。

投稿: tatsuro | 2007年2月 5日 18時35分

(*´∇`)ノ こんばんわぁ~

ちょうど、5年ほど前に住んでいた公営住宅がこんな間取りでした。
さすがに、風呂は・・・自分で発注して付けましたけど。。。

なるほど・・・(*゚▽゚)*。_。)*゚▽゚)*。_。)ウンウン
確かに、当時と比べると豊かなんでしょうね。昭和50年代の家で多いのが、70㎡台のお家ですよね。そこから見ても、10坪近く増えてますよね。。。。

投稿: aqua | 2007年2月17日 00時21分

aquaさん こんにちは

豊かになった事を素直に感謝いたしましょう!

投稿: tatsuro | 2007年2月17日 14時26分

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